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カオハガン・キルトとは
1992年、日本を離れ、フィリピン、セブ島の南の海に浮かぶ、周囲2キロたらずの小島「カオハガン」に住むことになった。
周囲を海に囲まれ、自給自足で暮らす島民たちのシンプルな生活は、物で溢れかえった日本からやってきた私に、大きな感動をもたらしてくれた。そして、そんな島の女性たちにパッチワークを教えてみたいと思うようになった。
しかし誰もがまったく関心をしめしてくれない。そんな中で一人の女性だけがキルトを作り始めた。ある日、型紙も定規も使わずに作った彼女のキルトを買い上げたのがきっかけとなり、キルト作りがスタートした。
その方法論は、日本や欧米での作り方とは違う。やっかいな製図をしなくてもすみ、規制もないので、布を適当にカットした後は、自由に縫っていくだけ。
布を縫い合わせる時に、お互いのサイズが違っていると、大きい方を迷わずカットしたり、小さい方に布を足したりしているうちに、思ってもいないデザインが生まれてくる。
1997年、日本で初めての展示をしたところ、多くの方からオーダーをいただき、本格的にキルト作りが始まった。
最初はピースワーク(小さな四角、三角を縫い合わせて幾何学模様をつくる方法)で作っていた彼らも、しだいにもっと自由に表現できるアップリケ(布の上に布をのせ周囲をまつりつける方法)を好むようになっていった。
彼らの描く情景には、島にある木や花、猫や犬、広い海の中を泳ぐ魚たち、そして自由に空を飛ぶ鳥などが登場する。
配色にしても彼らは私たちのように深くは考えない。しかし、カオハガンの人たちは配色を学ぶ必要はなく、すでに生まれつき美しい色の組み合わせができる能力がそなわっているようなのだ。それは豊かな自然の中に生まれた人たちの「特権」なのだろうか。
そんな人たちが作るキルトは、誰からも、そして何からも学ぶことはなく、年々洗練されたデザインや配色の才能を発揮していく。
カオハガン・キルトはすべてが曲がっていて、同じ形がないのが特徴だ。
日本の美しく整然としたキルトに物足りなさを感じていた私は、ずっと捜し求めてきたキルトと出会えたような気がした。型紙を作ったり、できあがりのデザインを最初からきめずに作れば、のびやかで素直なキルトが出来上がる。
カオハガン・キルトを見ていると「自然が作ったものに直線はない」ということがよく分かる。
この島で、もし私が日本や欧米での作り方を彼らに教えていたらどうなっていたのだろう。それはそれなりに美しいキルトは出来上がっていたことと思うが、「カオハガン・キルト」という特異なキルトは見ることができなかったことだろう。
私は世の中に「キルト」というものがあることを伝えただけ。あとは自然発生的に出来上がってきたのだ。
キルト作りを伝えていくことでたいへんだったことは、楽な作り方がわかっていても知らないふりをしなればならなかったこと。
だからこそ、彼らが自分で考えながら作り上げていったキルトはどれもが素晴らしく、そして私にはアドリブのきいたジャズ感覚のように感じられるのだ。
吉川順子
吉川順子プロフィール
「セツ・モードセミナー」にてスタイル画を学ぶ。その後、服飾デザイナー、アーキテクチュラル・レンダラー(建築の完成予想図を描く仕事)を経て、1985年、パッチワーク・スクール「ハーツ&ハンズ」の講師となる。1990年、「ハーツ&ハンズ」の校長に就任、1992年退職。
その後フィリピンの小島カオハガンに移り住む。1996年からカオハガンでキルト製作の指導を開始。1997年からは各地で開催される「インターナショナル・キルトウィーク」主催の展示、販売に参加。以降、カオハガン・キルトの販売に専念する。
カオハガン島のキルトづくり
現在カオハガン島だけで、100人以上の人たちがキルトを縫っています。島を歩くと、島中で、家でキルトを縫っている人たちと出会います。女性だけでなく、男性も縫っています。またそのほかに、付近にあるパンガナン、パンダノンという二つの島でもキルトを縫っています。
カオハガン島に、伝統的なとんがり屋根の「キルト小屋」を建て、そこでは、いつも、数人の中心となる女性たちが、キルトを縫いながら、まとめの仕事をしています。
彼女たちは、月に二回ほど、一時間ほど離れたセブ島の街に行って、生地を買ってきます。布が到着する日は、キルト小屋はたいへんな騒ぎになります。好きな色や柄の生地を、少しずつ皆で分け合って、家に持って帰ります。
そして、3~4ヶ月が経ってキルトが出来上がると、それを持ってキルト小屋にやってきます、そして、そこにいる、かなり長くキルトを縫っていて、その技術力も高い選ばれた島民たちが、それを審査、評価し、問題がなければそれを、買い取るのです。
そのキルトを、今度は、たくさんの方々に助けていただきながら、世界中で販売しています。
今、世界中でキルトがつくられていますが、最近の傾向としては、機械に頼ったキルトつくりが普及し始めています。表面のデザインもどちらかといえばパターンに頼り、キルティングは機械が行うといったキルトつくりが、アメリカでは主流になりつつあるのです。そんな中で、「カオハガン・キルト」は、自由なデザイン、すべてが手仕事で創られているので、アメリカでは、「これは、全部、手で仕上げたの」と感心され、高い評価を受けているのです。
このように、大きな自然に包まれて暮らし、その自然を大切にし、そしてその自然と共にあるシンプルな暮らしを続け、ほんとうに自由に、愛を込めてつくっている、すべてが手創りの「カオハガン・キルト」は、独自な、すばらしい発展をしているのです。
カオハガンでは、平均して一家族に一人の人が、キルトを縫っています。キルトからの収入が、カオハガンの人たちの暮らしを大きく支えているのです。
これからの世界に、最も大切、必要となる、「自然」と「愛」に溢れた「カオハガン・キルト」を、どうか応援してください。そして、カオハガンの人たちの、自然と共にある素朴な、手創りの暮らしを、支えてください。
カオハガン・キルトの使い方
キルトは、洗濯ネットに入れれば、ご自宅の洗濯機でも簡単に洗えます。壁にかけて飾るだけでなく、ベッド・カバー、敷物、ソファのカバー、こたつ掛け、などとして、アメリカの開拓時代と同じように、日常の暮らしの中で、楽しくどんどんと使っていただけるとうれしいです。
キルトの歴史
「キルト」というのは、二枚の布の間に、薄く広げた綿をはさんで、その三枚をしっかりと縫い合わせた布の作品です。その三枚を縫い合わせる作業のことをキルティングといって、出来上がった作品が「キルト」なのです。
現在、世界中でつくられているキルトは「パッチワーク・キルト」と呼ばれるもので、表側の布に、いろいろな美しいデザインがほどこされています。
そのデザインには二種類あって、そのひとつが「ピースワーク・キルト」です。「ピースワーク・キルト」は、三角や四角にカットした布、もしくは自由にカットした布を幾何学模様に縫い合わせたものを、表側の生地として使っています。
もうひとつは「アップリケ・キルト」で、思いのままにデザインして切り取った布を縫いつけ、さまざまな自由な表現をした作品を、表側の布として使っています。
もともとが、インドあたりで始まったものらしいのですが、まずはイギリス、ヨーロッパに広まり、そこからアメリカへの移民が始まり、その移住者たちが更に西部への開拓を始めたときに、キルトの歴史が大きく花開いたのです。その開拓時代の不便な暮らしの中で、寝具や敷物などとして日常に使われ、ときには渡し舟の料金の代わりとして使われたりして、アメリカで広く普及をしたらしいのです。
その後は、アメリカでの人々の暮らしの中にしっかりと定着し、さらに1960年ころからは、アートとしてたくさんの人がつくり始め、今では世界中に広まっています。ほんとうに暮らしの中で使われ、毎日の暮らしに密着した布の作品ですので、暖かさが感じられるのです。
日本でも数十年前の編みものに代わって、今ではご婦人たちの間でもっとも普及されている、布のアートとして愛されています。